平将門の七人の影武者が眠る海禅寺について紹介していきます🌻
海禅寺とは?
海禅寺の歴史
承平元年(931年)、平将門が父の供養のために、紀州(和歌山県)の高野山金剛峯寺を倣って、現在の守谷市高野に建立したのが海禅寺です。
海禅寺のある場所の「高野」という地名は高野山の高野を取ってつけられたと言われています。

☝️海禅寺の墓地側の入り口付近には「海禅寺縁起」が掲示されています。
海禅寺は守谷かるたに登場しています。
「 建てたのは 将門なりとの 海禅寺縁起 」
「 七人の 影武者眠る 海禅寺 」
海禅寺について
海禅寺の入り口の石段は、高野小学校の裏門の脇にあります。
木々が生い茂っていて、裏門の近くまで行かないと石段があると気づかないと思います。
(この石段から入る以外にも、墓地側から入ることができます。)

入り口が隠されている感じと、この少し古びた石段が非日常的でいい味出してますね😊
石段を上り切ると、海禅寺の本堂が見えます。

海禅寺の周りは車通りが少なく、自然が豊かで、虫の声がよく聞こえます。
静寂さの中に虫の声が響き、より一層非日常感を強く感じさせます🌱
海禅寺には、本堂、鐘楼、七人の影武者のお墓、墓地があります。
七人の影武者の墓については以下で詳しく解説します!
七人の影武者とは?
平将門は戦の際にいつも自分にそっくりな影武者を7人連れて行っていたそうです。
その影武者が将門を守ったり、敵を撹乱したり、時には身代わりになったりして、戦に貢献していたそうです。
その影武者のお墓が海禅寺にあります。

左から7つが七人の影武者のお墓で、一番右の一際大きいお墓は、平将門のお墓と言われています。
お盆が近いこともあり、お墓にはお酒がお供えされていました。地域の方々から大切にされていることがわかります😊
東京都千代田区にある「将門の首塚」が心霊スポットとして全国的に有名なこともあり、平将門と聞くと、「心霊」や「怨霊」、「祟り」などといったマイナスなイメージを持っている方もいると思います。
しかし、平将門の故郷である茨城県南部には、将門に由来する神社やお寺、場所等が数多くあり、将門グッズも販売されるほどの人気ぶりで、マイナスのイメージを持つ方よりも、英雄といったようなプラスのイメージを持っている方が多いです。
海禅寺も、そのような将門に由来するお寺の一つです。
将門のお墓と言われる場所は全国にいくつかありますが、海禅寺はその中でも、君主と家臣が一緒に眠る珍しい場所です。
最後に
「 七人の 影武者眠る 海禅寺 」
守谷かるたでも有名なこの言葉
平将門だけではなく、将門と一緒に奮戦したであろう七人の影武者が眠る海禅寺を一度訪れてみてはいかがでしょうか?
海禅寺へのアクセス
🚗駐車場のようなものはありませんが、敷地内に車を停められるスペースがあります。(お寺の方に許可をもらって停めた方がいいと思います。)
🚃最寄駅は、関東鉄道常総線の南守谷駅です。👟駅から1.9km、徒歩24分です。
付近のスポット
- おばけ石 (お寺から400m、徒歩4分)
- 茶房かやの木 (お寺から750m、徒歩10分)

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